Fukushima 50

今日は朝から雨の中、町内の側溝清掃(銚子の農家どころでは「澪ざらい」と言います)。本当は田んぼの田植えの前に水路(澪?)の土砂をさらうことらしいのですが、今は稲作をやっている農家も激減していて、実際にはいわゆる「どぶ掃除」です。終了後、天気が良ければ、アンテナの調整でもしようと思っていましたが、ずっと小雨模様だったため、それも断念…。
そこで一昨日から始まった映画「Fukushima 50」を観に行ってきました。(少しネタバレがあります)


この映画については、一部で否定的な意見も聞いていましたが、その時、どういうことが起きていたのかを知るだけでもと思い、出かけてきました。
観た感想は、わずか数日の出来事を映画化したもので、どちらかと言えば、記録映画のような感じでしたが、ずっと目を離せずに見入ってしまいました。災害のレベルは違いすぎますが、当時の大混乱が思い出されました。


いつの時代も時の権力者や上層部に振り回され、苦しむのは実際の現場にいる労働者のみ。最後に所長の手紙に残されていた「自分たちは自然の力を舐めていた」という言葉のように、やはり人間の手でコントロールできない原発の存在は問題です。
もし、あの時、大爆発を起こしていたら、規模的にはチェルノブイリの10倍だったそうで、その被害は東日本全体に及び、約5000万人が未来にわたり住むことができなくなっていたはずです。

 

所長の言葉(少しあやふやですが…)にあった「自分たちの仲間の命も守れずに、どうして地元の住民を守れるのか」と「今、起きていることを語り継いでいくことが我々の使命」。この2つは私たちが作ったアンケート報告集の結論とまったく同じ。この言葉を聞いて、自分たちが考えたことも決して間違いではなかったと確信し、目頭が熱くなりました。
久しぶりに目も耳も集中し続けた約2時間10分でした。

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